任天堂、ゲーム市場でソニーとの熾烈なシェア争い

任天堂は、83年に家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」
を発売し、85年の「スーパーマリオブラザーズ」を始めとするソフトのヒット
に恵まれ業績を伸ばしました。ファミコンは、日本の出荷台数は約1,935万台、
海外で約6,291万台を出荷する大ヒット商品となりました。

なんと、任天堂は元々トランプを作っていた会社です。今の任天堂の姿から
は想像が出来ないかもしれません。ただし重要なのは日本で「初めて」トラン
プを作った会社だということ。トランプからファミコンに非連動で移行したよ
うに、高性能機からWiiのような子供から大人まで楽しめる機種へと非連続
で移行できるのも、任天堂がエンターテインメントの本質を理解しているため。
大人から子供まで、みんなで楽しめるトランプを作り出したというところに任
天堂の本質的な強さが隠れているのです。

日本国外では、ファミコンは Nintendo Entertainment System(略称NES)
という名称で販売されていました。そのため、北米では「Nintendo」がビデオ
ゲーム一般の俗称として用いられているほどなのです。

任天堂の株価も、ゲーム機のヒットに連動する形で推移しました。「スーパー
マリオブラザーズ」を発売した85年以降、株価は急伸し、84年末3,993円だっ
たものが、86年7月末には2.5倍の1万0,030円にまで上昇したのです。

90年には、ファミコンの後継機種である「スーパーファミコン」を発売、株価
は89年12月末の1万1,111円から、90年7月末には2万1,333円へと、たった7
ヶ月で約2倍の上昇をみせました。

しかし、90年代半ばに入り、ソニー製の「プレイステーション(PS)」がゲー
ム業界を席捲した影響で、一進一退の株価推移が続きました。

ソニーは94年にPS1でゲーム業界に新規参入を果たし、「ファイナル・ファ
ンタジー」シリーズや、「ドラゴンクエスト」など人気ソフトが続々とPSに
参入したこともあり、97年に国内販売1,000万台を達成しました。

苦戦を強いられた任天堂は、96年に3Dに対応するなど高機能化したゲーム機
「NINTENDO64」を発売し、巻き返しを図りましたが、最終的な販売台数は500
万台強にとどまりました。

一方で、ソニーは00年にDVD再生機能などを追加したプレステの後継機とな
る「PS2」を発表、1年で国内販売1,000万台を超える大ヒットとなりまし
た。任天堂も、「ニンテンドーゲームキューブ」でそれに対抗しようとしまし
たが、結局、PS2のシェアを奪うことはできず、04年の日本の据置ゲーム機
のシェアの8割をPS2が握るという、ソニーの圧勝に終わりました。

このように90年代、強力なライバルの出現で苦戦を強いられた任天堂ですが、
携帯ゲーム機の分野では、89年のゲームボーイの発売以来、その地位を守り続
けていました。01年には、ゲームボーイアドバンスを発売。ポケットモンスター
を始めとするソフトの人気に支えられ、好調なな売れ行きで、PSPで携帯ゲー
ム機の分野に参入したソニーに大差をつける結果となりました。

そうした背景の中、04年に発売されたのが「ニンテンドーDS」です。国内で
あわせて400万本以上を出荷した「脳を鍛える大人のDSトレーニング」シリー
ズなどソフトに恵まれ、ハードも06年7月までに1,000万台を突破する好調な
売れ行きをみせました。

その結果、10月26日発表した06年9月中間期連結決算は、営業利益が前年同期
比3.4倍の671億円と連結中間期の集計を始めた95年以来最高となり、Wii
発売で、プレイステーションの登場以来、久しぶりに据置型ゲーム機での好調
が伝えられるというニュースにも後押しされ、16年ぶりの高値更新となったの
です。